行政書士試験合格後、すぐに開業はせずにいったん事務所に就職しました。その時の話をお伝えします。
行政書士事務所に就職
行政書士試験に合格してすぐに開業する気だったのですが、両親の反対などがあり、一度就職することになりました。そして、就職活動をした結果、建設業許可をメインに展開しているとても大きな事務所に就職することができました。採用された理由は、僕が優秀だったからというわけではなく、おそらく単純な人手不足からだったと思います。入所してわかったのですが、配属された入札参加資格申請の部署はてんてこ舞いでした。まさに猫の手も借りたいと言うような状況で、それはそれは忙しかったです。
私の他に同期が3人いました。今もその事務所に1人残っています。苦しい仕事を一緒に経験したからかどうかはわかりませんが、今でも何年かに一度は会うよういい関係を築くことができました。
事務所は大所帯でパートさんも入れると数十人規模です。新宿の高層ビルに事務所を構えており、管理、営業、経審、産廃というような部署がありました。当時はまだ行政書士法人の制度がなく、株式会社を持っていて、そこで健康保険・厚生年金の適用を受けていたので、厳密に言うと、行政書士事務所ではなく、株式会社に就職したことになります。
入札参加資格申請の業務に従事
さて、話を戻すと、当時は東京都や電子自治体共同運営で電子申請がスタートした年でした。他にも省庁とか埼玉県とかの申請が同じタイミングでありました。私が入所する前から入札参加資格申請はスタートしていたのですが、内部的な引き継ぎや連携がうまくできておらず、申請が全く追いついていないような状況でした。そこにポンと放り込まれたのです。
当時の私は建設業許可の制度についての知識は一切なかったのですが、職場は殺気立っていて、誰かが何か教えてくれるような状況ではありません。手探りでミスをしながら、同期とわずかの情報を共有して仕事をした記憶があります。
郵送で提出しないといけない書類をFAXで送りつけて怒られたり、千円単位を円単位で記載してしまい再提出になったりというミスは毎日のようにしました。埼玉県のある市への申請では、最終の時間に間に合わず、「もう少しで着くから待って下さい」とお願いして、20分待ってもらって提出をしたこともありました。
朝から夜10時くらいまでは当然のように働きましたが、最終的にはすべてを終えることはできなかったと思います。入札参加資格申請は申請の期限が決まっているので期限が来たら終了です。ペーペーだったので詳細は不明ですが、かなりの数の申請を漏らしたみたいでした。当時のボスがお詫び行脚していたのはなんとなく知ってます。入札参加資格申請のチームは解散し、アルバイトで入所していた人の大半が辞めました。私より先輩で先に入所していた人たちは、仕事が全然うまく行かなかったことで、自信をなくしてました。責任を感じて辞めていったという人たちが多かったのでないかと思っています。
入札参加資格申請チームには2ヶ月程いたと思います。入札の時期が終わりチームも解散し、別の部署へ異動となりました。
入札参加資格の次は事務組合
私が就職した事務所は事務組合も持っており、入札参加資格申請の次は事務組合に所属することになりました。事務組合のボスは社労士の先生でしっかりと管理ができており、教わりながら仕事ができました。しかし、事務組合は社労士業務。行政書士業務をすることはなく、算定とか年度更新とか、社労士用語が飛び交う中での仕事でした。残業はほぼなく、きちっと業務をこなしていく平和な毎日を送りました。
事務組合には結局3ヶ月位いた気がします。年度更新の繁忙期が終わったら次の部署へ異動しました。
午前中は営業、午後は管理
ここまででまだ5ヶ月位なものです。異動のペース早くないですか?そうなんです、出世頭でした。いろいろな部署を経験したほうがいいということで、短期間で異動させられ、管理という部署へたどり着きました。しかも、いろいろな経験を踏ませたほうがいいというのは残っていて、午前中は営業に出て、午後は管理という変則的な立場です。
営業は顧客を回って更新や決算、経審の案内をして来るのが主な仕事となります。しかし、ここまでの私は入札参加資格と事務組合の経験しかなく、建設業許可の要件すらわからない状況です。なにか聞かれてもわからないので、適当に回答したり、とりあえず持ち帰って、あとから電話でフォローするような形態で仕事をしておりました。
顧客を回っていて、よく言われたのが「担当がコロコロ代わる」「何かを聞いても答えてくれない」ということ。「本当にすみません」と何度も頭を下げました。新規の案件を扱うことはなく、主に更新を扱っていたので、要件についてはほとんど理解することなく退職までいました。経審は若干扱いましたが、書類はわかるけど、点数の仕組みとか入札までのつながりとかそいういことは一切わからないまま仕事をしてました。振り返ってみると恐ろしいことをしていたし、自分の意識の低さが恥ずかしいです。
管理の仕事は結局よくわかりません。事務所をよりよくするための部署だったと思いますが、そんな状態で何かを提案できるわけもなく、とりあえずは社長と社長夫人に言われるがままの雑用をこなしていました。よく覚えている仕事は毎朝、営業に出る前に新聞の建設業に関連する記事をスクラップにして社長に送るというもの。送る記事が多いと怒られるし、記事に漏れがあるとそれも怒られるという、不条理な仕事でした。
私の仕事への意識の低さもあり、営業としての不足書類の案内や督促をしたりする業務と、管理の小間使の業務で毎日忙しく、営業としての業務は色々と手が回らなくなり、会社さんに迷惑をかけることもありましたが、就職していた期間のこの時は行政書士の仕事に触れることができる期間となりました。
そして退職へ
平成18年に結婚しました。結婚のお祝いをその事務所でしてもらいましたが、新婚旅行から帰ってきて辞表を出しました。いまだにひどい不義理をしたと思っています。ただ、退職は既定路線でした。早いか遅いかの差だったと思います。翻意するように社長を含めて色々な人から説得されましたが、もう決めてしまったことなので退職させていただくことになりました。結局わずか11ヶ月ほどで退職しました。短い期間でしたが、色々なものが凝縮された期間だったと思っています。
まとめ
- 行政書士試験合格後、新宿の事務所で勤務した
- 建設業の入札、事務組合、管理部などで業務に従事した
- 不義理でしたが11ヶ月で退職した